旅の目標その③
1. 人から与えられた分だけ何かを返す
2. 地理感覚を明確なものにする
3. 創作のためのイメージを豊富にする
時間ができたので、今更ながら3について書きますよ。
そう言えば、何故使っているカメラがSONY【6758】のRX100なのかについて、まだ答えていませんでしたね。
その理由は、SONYのスマートフォン📱搭載カメラが非常に優れているから。小型化するのがそもそも難しい中で高性能なものを作れるのですから、デジカメ📷でも間違いはないと思い購入しました。
今は6型まで出ているようですが、性能としては初期型でも十分なレベルです。私は写真を携帯に移したかったので、1型よりもWiFiが使える2型にしました。パソコンで編集するよりもスマホからした方がメリット多いですからねぇ。値段も今なら手頃な価格に落ち着いていますので、おススメしますよっ。
ただ、WiFiを使うにはスマホに「Imaging Edge Mobile」というアプリをインストールしておく必要があります。それが完了していれば、
カメラからスマートフォン転送を選ぶ
→移したい画像にチェックを入れたら決定
→アプリを開くと自動アップロード開始
ってな感じにできて便利だにょ。いぇいv(*ω*)v
もし今後カメラのセンスが上がった時は、一眼レフに乗り換えたり、CANON【7751】みたいな別メーカーのを使うかも知れないですが、こいつの操作性の良さを考えると…まだ先になりそうかな?それくらいには選んで正解でした。
まあ選んだ本当の理由が、カメラの名前がMAZDA【7261】のRX-7みたいでカッコいいから✨なんて言えませんしね…もし街で見かけたら興奮しますよ、マジで。
さてさて、そのカメラを使いながら旅することと、3の創作イメージを鍛えることに相関はあるのでしょうか。
私は最近、あまり知識というものに重きを置かなくなりました。それは知識なんて安いものだという意味ではなく、大事なのはそれだけじゃないと(今更にして)気付いたからです。
なお、一般的に「知識」とは「既知」の領域のものを言いますから、ここでは「知識」を「未知」の対義語として位置付けます。そして知識が「知っている」に通じ、未知が「分からない」に通じるものであるとしましょう。
さて、「知識」というのは「科学」によって見つけ出される「真理」であって、発見という結果、もしくは応用することに価値があると考えられます。
まだ知られてないことを見つけること、これには生産性があります。
もう知っていることを更に用いること、これにも生産性はあるでしょう。
では、その両方に当てはまらない場合、つまり誰かに発見されていて、かつ自分が利用しないような知識については…価値のない情報として扱う他ありませんよね。
想像ですが、殆どの人が中高で習ったことをもう覚えてなかったり(私がそうなので)、そもそも覚えようとしなかったのではないでしょうか?
だとしたら、そのために費やした時間(授業に補習、試験勉強、人によっては予備校まで)というのは何だったのでしょうか?
はっきり言えば、果たしてそれは教育と言えるものなのでしょうか…?🤔
これだけ知識の詰め込みに無駄が多いのです。ただ正しい答えを紙に書けることにのみ価値を求め続ける=記憶力しか鍛えられないような日本の教育から、本当の価値が生まれるはずありません。明らかに矛盾する結果を生み出しています🌀
何故このようなことになったのか?
そうこう考えていると、答え=科学の対極にあるものが欠けているからだと見つけました。
問い=哲学です。問題を立てる哲学を無視し、解答を示す科学だけを重視している状態は、学問として不完全な形と見て良いでしょう。
では哲学とは何なのでしょうか?これは科学の反対と捉えられます。
つまり、答えの反対=問いをもたらすもの。
高校時代を思い返してもそうでした。必死に覚えた人名や単語といったものは、今ではもう頭の中から悉く消え去っています。それらの殆どは語句として存在したのであり、本質的にはもはや問いではなく記憶ゲームでした。知識の応用という要素が抜け落ちている以上、思考ではなく記憶として処理され、そのまま忘れられてしまうのです。
逆に、きちんとした問題に対し解答するために用いた知識は、今も頭に残っているように思われます。記憶という個々のものとは違い、思考には一連の流れがあるので、その質量の分だけ忘れにくいようになっているのでしょう。
この問いが如何に単純な疑問であったとしても、その先には科学の追い求める真理と同じ「普遍」が待ち構えていますので、哲学と科学は対極構造にあって一体のものに他なりません。
ですから、「未知」とは「哲学」によって突き止められる「普遍」と捉えられます。それは究明という過程、あるいは説明できることに価値があると考えられる。
まだ分からないことを明らかにしていくこと。
もう分かっていることを述べられること。
哲学によって究明され、科学によって発見される。この一連の流れを繰り返しながら、世界は進化してきました。
そしてアインシュタインが言ったように、「知識」という有限のものに対する力は「思考力」として、「未知」という無限のものに対する力は「想像力」として、それぞれ科学と哲学に無くてはならないというわけです。
日本の教育がなぜ不十分なのか?
それは生徒に自ら問うことを求めないから。
問いかける興味すらも持たせられないから。
問うには余りにも不自由すぎる環境だから。
今まで私が受けてきた教育は、記憶力こそ豊かにしたかも知れませんが、それが思考力と想像力の両方にプラスに働いたとは思えません。結局は全部をバランス良く伸ばしていくしかないのです。
それが大学で変わるかと思いきや、むしろ悪化したようにも思える状況…😓
何故大学が資格のための知識だけ詰め込んで終わりにさせようとするのか、理解できません。それはちょっと前に書いた通り、今の時代なら他人に教わらずとも知識を得ることができるからです。情報ツールを使いこなすことさえできれば、必要なものを必要な時に、効率よく集めることができる。
だとすればですよ…極論ではありますが、もはや専門知識を詰め込むことは誰にでも簡単にできるってことじゃないですか。全員が同じ地点まで到達できるってことじゃないですか。
なら知識量じゃない、他のところで差をつけなければ意味のない時代に来ているってことですよね?思考力なんて既に出来上がっているんだから、新たな問題に対処できるだけの想像力を伸ばしていくべきですよね?
そういった時期に来ていると、私は思うのです。
こうやって書いてて、何となく大学の考えが分かってきました。「授業は優秀な学生のためではなく、主体性のない不器用な学生のためにやるものだ」ってところでしょう。
思考力も想像力もない人のために、せめて思考力だけでも提供しなければ…と願った結果だと考えれば、辻褄が合います。確かにそれ以外の人達なら、逆に放っておいた方がちゃんと良い結果を出しそうな気がしますし。
でも入試をパスしているんだから、思考力がないなんて前提で考える必要もないような…?
っと、そういえば私大って一般入試+内部進学は半分くらいしかいなくて、残りの半分は推薦(指定校+スポーツ)みたいになってるようですね。
これは、仕方ない…私立に逃げた私も悪いし、こんな簡単なことに気付けなかったことも、私の想像力のなさを証明するには十分ですね😇
さて、大学で想像力が得られないことは分かりました。そして今まで自分自身でその力を伸ばせなかった事情として、全く創作などに手を出してなかったというのが大きいと感じます。自分の中の世界を表現する方法が少なすぎて泣けますね。
一応できるにはできます。ダンス💃とか陶芸🍵とか…絵🖼は苦手で音楽🎼は絶望的ですけれど。
でもその背景には、色んなものを見て来なかったことがあるように思えます。少なすぎる引き出しから同じイメージばかり何度も何度も反復し続けても、新しいものは何も生まれません。新しいものを作るというのは、ゼロから作るのではなく、今まであるものを組み合わせて作るということなんだな〜と、友人に教えられて納得しました。その材料すらも今ではネットで見つけられます。しかし、どうも自分のイメージとは受け取り難く、こればかりは家にいても何にもならないと痛感。
私は運の良いことに、外に出て歩くだけでも情報は沢山入ってくるということを知っていました。しかも人と関われば更に多くの情報が入ってくると言うことも!
この旅で得た経験は写真やこのブログとして残り、見返した時には体験した時間とそのイメージを呼び起こすトリガーとして残るはずです。それ以上に、世界というものを広げることで、私の今後の人生における選択肢を増やしておかなければならない。今やっておかなければ、この先の自分には限りなく小さい可能性しか残らない気がする…
直感は真実と言います。それに従って生きることが、人生をより良くすると願いたいですね🎯
車のために道はある(後)
続きです🔙
4. 状態の悪い路面に対応できない
少し思い浮かべて頂きたいのですが、第二次大戦の序盤でドイツ🇩🇪が取った電撃戦というのがありましたよね。航空戦力で敵を削る→地上戦力の浸透で、フランス🇫🇷やポーランド🇵🇱を一気に攻め落とした戦術です。
(ポーランド国旗を逆にするとインドネシア🇮🇩になってしまうので注意。笑)
これが成功した背景には、ローマ帝国の時代より欧州の広範囲を繋いで発達してきた交通網が、産業革命により推進された帝国主義の影響下において、より多くの労働力(人)と資源(物)を流入させるために近代化したことがあるでしょう。もちろん戦力(人)と兵器(物)も短期間で侵攻することが可能になります…
それはそうと、ヨーロッパの地理的、歴史的な特徴と言えば、
・平らな地形で高低差があまり無い
・個人ではなく国が土地を所有している
ことが考えられます。
戦略的に見ると、森や丘のない平原は開けているがために奇襲ができませんので、側面と背面しか警戒する必要がありません。つまり後方を完全に確保してしまえば、警戒するのは前方だけで良いことになるので、非常に楽です。
実際にソヴィエトと不可侵条約を結んだのも、これを考慮してのことでしょう。後はモンゴル帝国よろしく、海が見えるまで突き進むのみです。
もし前方に森林や丘陵があって待ち伏せされていても、空から見れば敵に気付くことができますし、爆撃が失敗しても無線および爆音と爆煙で敵の場所は把握できますので、地上戦力は攻撃にも回避にも転じられます。畑?焼き払え🔥
なので制空権と燃料がある限り、従来の交通網で一気に都市まで突き進むことができてしまうのです。敵戦車は航空攻撃で撃破すれば済む話ですので、戦闘車両の武装も榴弾砲や対空砲に対抗できるだけのもので十分となり、単純に武装が軽くなった分、進軍速度を上げられます。
翻ってロシア🇷🇺はどうでしょうか。広い湿地と厳しい気候により交通は阻まれ、ローマ帝国の文化圏からも当然外れています。都市と都市の間隔も大きく離れているので、焦土作戦を決行されようものなら孤立は必至でしょうし、戦力も戦車を中心とした組織ですので、戦車同士の戦闘もある程度覚悟しなければなりません。
もはやヨーロッパとは全く異なる性格を有していれば、電撃戦が通用しないことも考えられたはず。冬将軍を抜きにしても、やはり戦法そのものに限界があったと言うことでしょうねぇ。
そうそう、ヨーロッパの街並みってパッと見とても整っていますよね?大きな通りがいくつもあって、そこに整列するように建物が綺麗に収まっています。
これは土地の概念が日本と違い、国に属するものとして管理されているため。自分が住んでいる場所も、必要とされる場合は国に呆気なく接収されて用いられます。
その代わりに固定資産税は低いので、地方で取り沙汰されている空き家問題に介入しやすかったり、外国人による土地の買占めといった問題も発生しにくいので、有効に土地を使えますね…!
(↑大学院の先輩に教えてもらいました。税制の視点から解決できる課題は多そうです)
つまり大きな道路を通すのが簡単なので、区画の整った分かりやすい都市が完成するんですが、これ、攻める側⚔️からすれば非常に有難いと思いませんか…?
全体を包囲したければ中心部に繋がる主要道路を全て押さえるだけで簡単にできますし、丁寧な道路のお陰で遠慮なく一気に攻めて占領することもできます。
反対に守る側🛡からしてみると、見通しが良いせいで防衛に適した場所が少ないということになりますし、民間人を保護するためにも侵入されたら早々に降伏するか、それより前に撤退するしかないんですよね…。
同じようなことが昔の日本でもありましたね。日本で最も手の込んでいる都市と言えば京都です。その京も、南北朝時代には本来の都を取り返そうとする南朝に隙を突かれて何度も攻め落とされ(確か6回?)ましたが、同じように足利幕府に取り返されるというのが数十年も続きました。
まさにこういった都市は、攻めるとすぐに落とせてしまうのです。それも「都市全体を意識して丁寧に整備された、開放的な広い道路」があるから。
調子に乗って長くなってしまいましたが笑、これと逆のことを想像してもらいたいのです。
日本の地形と都市から考えられる道路をそれぞれ、
「山や川を避けるようにして通した、高低差と曲線の多い道路」
「旧来の区画を縫うようにして通した、閉塞感のある狭い道路」
としてまとめてみます。
前者に関しては、交通量が多い路線に隧道と橋を通すだけの拡張工事で対応できますので、問題なく解決できますね。
問題は後者。空襲で焼かれたり自然災害にやられたりしない限り、旧来の日本の道路は再編されることなく、そのまま運用され続けるでしょう。その道も分かりにくいし信号は多いし狭すぎるし…と、これでは自動車も自転車も関係なく、かなりの不便さを感じざるを得ません。
それだけで済むならいいのですが、自転車に乗っているのが馬鹿らしくなってくるような、格差を感じる要素があります。
少しだけ海外を引き合いに出させてもらうと、ヨーロッパ(特に北欧)では、自然に配慮したものが推奨されている通り、自転車もまた環境に良い交通手段として重要視されています。そのため、車だけでなく自転車にも走りやすいような道路になっていて、例えば自転車用の車線があり、そこを一定の速度で走ると信号が常に青のままで行くことも可能。あちらでは自転車もちゃんと「車」に含まれる扱いなので安心です。
そして残念かどうかはさておき、日本では自転車は「車」にこそ分類されているものの、実質的にはそれとして扱われていません。
(あるいは日本のモーター産業が偉大であることの裏返しとも取れるので何とも言えないですが…)
どれだけ路面の状態が悪い道路であっても、白線を境にして観察してみると、まるで具合が違うのが分かると思います。明らかに車道の方がずっと状態が良いのに比べて、路側帯は狭いしガタガタすぎて目も当てられないことも。歩道は更に状態が悪いのでどうしようもないです🤤
安全かつ安定するのは白線の上、そこを頑張って通ることしか残されていないのですが、そのラインに乗せ続けることにエネルギーを吸われるのも…なんだかなぁ…と。
先程も述べた通り、状態の悪い道路でも通ることはできますが、そのためには速度が犠牲になってしまいます。高速域での性能が武器であるRBで都市の一般道なんかに突っ込むのは、ロシアの土地に電撃戦を仕掛けに行くのと同じようなものなのかも知れません。
これは何も日本を非難しているわけではなく、ただ日本は自転車を前提とした環境には仕上がってないんだろうな〜という個人的な認識を吐き出しただけです。環境意識や行動意識の違い、あるいは歴史や経済の違いと捉えても面白いですね。
とまあ、全体的に長くなってしまいましたが、以上がRBに乗りにくいと感じた理由でした。皆さんも目的に応じた自転車が見つかればいいですね🥂
自転車は車に非ず、そしてHPT+4WD以外もクルマに非ず…やっと理解したぜ、車道は四駆専用だったんだ!
車のために道はある(前)
令和に入ってもう3週間になるんですね。
また更新期間を空けてしまった自分は何をやっていたのか、それを語るのはとても難しいです。一言で言えば…他人との共同生活に慣れる修行、とでもしておきましょうか。ちゃんと空いてる時間に勉強もしてます、んで書くのを放置していた、と(-_-;)
今回は、短期間だけながらもロードバイクを長距離(合計500キロくらい)乗り回してみて、やりにくいという個人的な結論に至ったその理由を書き出してみます。
大きな要因としては、
1. 乗り降りがしにくい
2. 低速だとバランスを崩しやすい
3. リラックスした姿勢が取れない
4. 状態の悪い路面に対応できない
この4つがありますが、これらは全て高速域で高性能を得るために必要な要素であり、本気でレースをしたい人にとっては重要そのものであることに注意しておきます。
よくよく調べてみると、RBは本来「ロードレーサー」という名称であることからも、その用途は一発で理解できるでしょう。
これを裏返すと、ゆっくり旅をしたい人にロードバイクが向いていないというだけで、要は今回の私の目的に合っていなかったんですね。
あるいは私は全くの初心者だったので、素人はこういったことがあるから注意した方がいい、程度には参考になるのかも知れないですが…
早速ですが、順番に見ていきましょう。
あとロードバイクと書くと長いので、以下RBとします。ご了承を<(_ _)>
1. 乗り降りがしにくい
RBのサドルは高めに設定されていますので、シティサイクルと同じ要領で跨るのは無理があります。爪先立ちだとギリギリ跨れますが、とても辛いですのでやめましょう。笑
走らせるためには、一度トップチューブを跨いだ状態から腰を上げてサドルに乗る、という流れになります。逆に、止まるためには逆の手順を踏むだけです…が、これがストレスの元。
シティサイクルなら発進と停止の際にサドルから腰を離す必要がないので、気楽に止まって景色を眺めたり、写真を撮ったりすることができます。
一方、RBは少し止まろうとする度に上のような手間がかかる。万が一にもシティサイクルと同じ感覚で止まろうとしたり、停止地点の高低差を見誤ると、足が地面に上手く届かずにRBと仲良く地面に倒れることもあるでしょう🙄
たった一手間ができないお前が間抜けなだけじゃね?と思う方も多くいらっしゃると思いますが、これが私のように、思いついた時に写真を撮りまくったり、道を確認するために頻繁に停止するような人間だと、流石にうざったくなってくるわけです。
そして調子に乗って気を抜くと、すぐこけるわけですね。そう、軽く2桁くらいは…( -言-)">
2. 低速だとバランスを崩しやすい
当然ではありますが、走り出した直後は特に倒れやすいので注意して下さい。キャリアバッグを積んでいる時は旋回性能も落ちるので、それを踏まえて荷物の量を調整した方がいいと思います。私も何度か岩の壁に突っ込みそうになったりしました😑
特に問題なのが、ある程度速度が出た状態で急制動を強いられた時。咄嗟に全ブレーキをかけることで一気にバランスが不安定になります。
それと同時にRBを支える体勢を取る(=サドルから腰ごと飛び降りる)というのが結構難しく、そうならないためには常に中低速で走るか、あるいは全力で避けるといった方法が考えられますが…
前者ならせっかくの高速性を潰すことになりますし、後者なら避けるリスクの方がそもそも大きいように思えます。なので全ブレーキでも安全に止まれる(もしくは受け身を取れる)ような訓練をしておくのが一番無難でしょう。
あとはタイヤが細いせいで停止中も前輪が不安定になります。しかし信号の中途半端な待ち時間にもハンドルから手を離さないと疲れますので、その時は肘をハンドルにかけておくと楽になりますよ。
3. リラックスした姿勢が取れない
長距離移動における一番のストレス源です。RBは空気抵抗を減らし、またペダルにエネルギーを効率良く送るために前傾姿勢を必要とする設計ですが、これを長時間ずっと維持し続けるのはかなり負担になります。
かと言って楽な姿勢にしようとすると、より辛い結果が待ち構えていることでしょう。その先にあるのは…お尻への激烈なアタックです🌀
RBに体重をかけるパーツ比は
ペダル>ハンドル>サドル
にして、この3点の関係で見てみると、サドルは体重をかける(=座る)というよりは、せいぜいお尻を乗せる程度のものでしかありません。
(ハンドルも同様に、軽く握って肘を曲げた状態を理想とします)
「座らないのであれば座り心地など全く必要ない」ということになり、逆にペダリング時の安定性を意識したことから、RBのサドルは非常に硬く作られています。
そう、非常に硬いものに永遠と座り続けるとどうなるか…?バックパックの重みを感じながら前傾姿勢を長時間維持するのはきついですが、その時はコンビニなどで大人しく休憩して下さい。リラックスできるからと普通の乗り方に変えて走るのは大きな逆効果ですよ…
4は予想以上に長くなったので(後)に分けます🔜
令和早々風邪を引く
段取りが狂ってばかりですね😥
風邪自体はもう治っている状態なのですが、春の風邪は強力ゆえに蒸し返しても困るので、念を押してあと少しほど休みたいような感じですね〜…
それでも貴重な時間を無駄にするわけにはいきませんので、今は次の旅の出発点である京都へ向かっています。一箇所だけ寄り道しますが、2〜3日すれば着くでしょう。
理由は少し友人に会う必要があるのと、やはり京都が一番しゅきなのが大きいですねぇ。
荷物は軽量化させたのですが、次は梅雨と初夏に跨るので、あと少し時間をかけたかったような気も😞
…でもまあ何とかなるだろうの精神。
ちなみに、これは私特有の年1で必ず起こる生理みたいなもので、毎年5月上旬に必ず同じ症状でダウンしなければなりません…しかも結構きついです、主に頭と目と鼻と喉と上半身が。
でも人間慣れたもので、病院に行くのも面倒ということから、毎回自然治癒に任せています。食べ物は極力摂らずに(どうしても欲しい時はゼリーかプリン)、飲み物は濃茶と水を交互に流し込むだけ。これで基本どうにでもなってます。
もっとも、これのおかげで1年間の免疫が鍛えられていると思うと、ありがたい?ことなのでしょうか🤔
さて!続きがまだ書けていませんでしたね。
28日…
小田原の駅に始発目当てで到着…したら始発より1時間以上前でした。全然人ぃなぃ…
しかし前日までの悪天候とは比べ物にならないくらいの晴天!気温も上がって丁度いい感じに仕上がっていました。何度も言いますがモチベーションは大事です( ̄^ ̄)
ということで、この日通る予定のルートを下調べしていると、ホームから小田原城発見。噂通り名城の雰囲気がしますねぇ。
湯河原へはすんなり帰還。駅には駐輪場らしき場所はないのですが、道路を渡ってエレベーターを降り、少し進んだ先にあると駅員さんに教えてもらいました。そこに置いてきた自転車を回収し、135号を小田原へ向けて突撃。
さらば湯河原の街、今度は温泉入りに来ます♨️
朝の相模湾。向こうに見えるのは多分初島?大島も行ったことないので、またこっちに来たら寄りたいです。
途中には神社が。せっかくなので寄り道…
素鵞神社、というらしいですね。
参拝の時に驚いたのが、手水舎がセンサー対応していたこと。龍の口に柄杓を近付けると、水が注がれます。よくできてるなぁ〜と感心しつつも、冬とかは大丈夫なのかな?という疑問も浮かびました。
そしてそのまま国道135号を突っ切る…こともできるのですが、私のようなぺーぺーの自転車乗りにとってはかなり過酷。その理由は交通量の多さと路側帯の狭さ。よって、ここは一つ上の県道740号を行くのが上策です。
(ネット上に情報を残しておいて下さった先駆者の皆様、ありがとうございます)
確かにアップダウンと勾配はそれなりですが、ここから見える景色は美しいですよ♪
道はこんな感じ。朝は全く車が通らなかった印象です。
そして絶景😊これは感動しました。
細い道と段々畑が見えますでしょうか。
国道がすぐ下に見下ろせたりします。本当に海のすぐ横に作ってるというのが体感できますね。
ここで国道と合流。交通量は増えますが、この先は走りにくいこともないと思いますし、小田原までもそう遠くないので、海の景色を楽しみながら前進あるのみです🚴♀️
そしてまたまた神社を発見。
こちらの紀伊神社様は例大祭の最中だったらしく、運良く山車や囃子まで見聞きできました。私はあまり詳しくない方ですが、友人曰く、関西・関東とはまた違った相模独特の感じだそうです。
そして待ちに望んだ小田原に到着。三島からここまで途方もなかったような気もしますし、まだ観光に来たこともなかったので、二重に感動する要素が私の中にありました。
(昨日来ただろ、と言われてる気がしますが、あれは緊急避難なので仕方ありません😒)
しかし本当に綺麗な街でした。白を多く取り入れた街ですから、維持は大変でしょうが…それにより四季の移り変わりや建物の図形的違いに左右されない美しさみたいなのがあるように思います。
そして酒匂川からふと写真を撮ろうとすると、富山がひょっこりしてました。ここからでも見えるんですね〜。
そして道路も綺麗。それもそのはず、小田原は天下の神奈川県。静岡が長すぎてつい引っ張ってしまう…
小田原からは国道1号を信じて直進していけば平塚まで辿り着けます。そして大磯の城山公園に差し掛かった時、「太平洋自転車道」の標識を発見。そう、興津から由比に抜ける時に使ったあれと同じやつです。
こっちの方が絶対走りやすいということを知っている私は、そこまで引き返そうとしました。
そこで私は気付いてしまう。
そのすぐ横に吉田茂の邸宅があることに…
植物豊かで、沼津御用邸に似た場所のように思います。同じ海沿いですし。
こちらは個人の邸宅だったというだけなので、歴史的な経緯とかは省きます。でも覚えている範囲で書き上げてみると…
もともとは実業家であった吉田の祖父が持っていた土地だったらしく、養子として入った吉田が引き継いで、総理退任後に隠居場所にした、みたいな感じに教えてくれたような記憶があります。その死後はホテルの別館として使われていたのを、保存の機運が高まって修復され、当時の姿に戻した、と。
こんな感じなので、普通に興味がある方は吉田茂自身を調べてみた方が面白いと思いますよ!特に大使時代と最初の組閣の時なんか。面白い話には事欠かない人です。笑
さて、吉田茂邸の横から太平洋自転車道に入って進んだ後は、どこかでまた1号線に戻り、平塚方面に抜けなければなりません。なので大磯中学校の前を通って1号線に戻りますが、そこへ誘導するための案内が地面に書かれてあるので、海ばかり見て見過ごさないようご注意を。
あとは平塚から国道129号をひたすら北上すると、厚木を通って相模原まで帰って来れます。このルートは何ら問題ないので、御殿場までのルートを反省ですね…
そしてこの日の移動距離、およそ100キロ💦
ここらが適度に限界ってとこですが、となると1泊2日で小田原日帰り旅行、できそうですね?う〜ん、またするかも?一緒に行く人がいれば…
一時帰還のご報告
遅くなりました。28日には家に着いていたのですが、帰ってから休憩しまくってたら遅くなった次第です。
そしてあと数分で平成も終わりという状況ですね。17時に天皇陛下の退位のお言葉を聞こうとYouTubeを開いていたのですが、画面が止まっていることに気付かず、ブラウザバックして開き直したら述べられ終わった直後でした😔
皇族の皆様が背を向けられて去って行かれる姿しか見えなかったのが、平成という時代が静かに去って行くのと重なって見え、なんとも言えない気持ちになりましたとさ…
まあそのすぐ後にアップロードされたものが見えたので問題はなかったです。そして令和になって日本は果たして良くなるのか、これも焦らず観察していくとしましょう。
27日は三島から湯河原まで、28日は湯河原から東京まで走ったのですが、両方ともかなり味がある道のりでした。
27日…
前日に見た天気予報では、6時〜11時まで雨が降りにくいとのことだったので、寝カフェを6時に出発…する予定でしたが、無事寝坊。
1時間遅れて7時に出ましたが、曇りなので非常に気分が乗らない。それでも熱海までは距離的に近いし、昼までには普通に着くのは間違いないので、可能な限りの前向き精神で走りました。
結果から言うと、普通に天気のいいうちに着くことはできたのですが、鷹ノ巣山で体力を使い切る羽目になりました。そしてその後に雨が降り始めて移動するのが億劫になったのもあり、この日の移動距離はたったの20kmです。夜にも走ろうとしましたが、夜道が怖すぎて湯河原で中断しました…
今回は三島側から登りましたが、時間はかかっても自転車を押していくのにそこまで苦労はしません。逆に熱海方面へ下る途中の道は勾配もきつく、ぐねぐねしてて中々きつそうでした。そのため、熱海側から登るとなると多少難易度が上がるかも知れません。
そういう意味では、東京から静岡に行くなら御殿場を回り、逆に静岡から東京なら熱海を回った方がいいでしょう。
恐らく自転車ではもう来ないであろう鷹ノ巣山。それでも晴れていれば景色を楽しめながら移動できたであろうに、本当に残念です。
↓適当に撮った山の写真
↓丹那の街を見下ろす
↓鷹ノ巣山では多くの橋を通る
↓長い隧道を越えれば熱海はもうすぐ
↓熱海の手前。それらしい建物ですぐ分かる
熱海に着いてからは、しばらく観光してから足湯でぷらぷらしてたのですが、雨が降り出すと一気に寒くなり、我慢できないほどに。気になって気温を見ると、気温はなんと8度😓
おいおい熱海なのに全然熱くないじゃねぇかと愚痴を吐きつつ、しかし動けないので駅や商店街を雨が止むまで永遠と周回。
この日は大勢の観光客で賑わっていました。熱海には年1回は来るのですが、今は明らかに人が多い。雨の中でもこれだけの人が熱海に来るんだから、観光地としてはもう人気すぎて来れないかな🤔と思って日付を見てみると、ちょうど10連休の初日でした。だから多かったんですね…
そして18時くらいに雨が止んだので、よし小田原まで突っ走るぞと考えた私は甘すぎました(^_^;)
昼間の時点で8度ということは、夜は更に冷え込みます。当然の如く寒さにやられ、そして道は暗いし何もない…これは夜に走るのは自殺行為では?でも熱海にも湯河原にも一晩過ごせる場所はないし、泊まるには高すぎるし、どうすればいいのか…
いや、だとすれば小田原まで行ければ何とかなる!今のうちに電車使っちまえ…
ということで、湯河原に自転車を放置して、小田原の寝カフェにまた一泊するのでした。
↓熱海警察署。RE:2のせいで撮りたくなった
↓市街の至る所に多くの人がいた
28日は写真が多いので次に回します。
復路の味は少し違う
さて、東京までまだまだ走りますよ。
25日…
浜松を出てから、呪われし金谷峠を越えた後に静岡市内に入りました。前回の反省を生かして昼に攻めたのですが、時間はあまり変わらないと思います…
「夜は真っ暗な中をライトで慎重に照らしつつ減速しながら下る」が「昼は暑い日差しを受けながら休憩を多めに取りつつ無心で登る」に変わっただけです。速度的な違いはそこまで感じられませんでしたが、やはり夜の方が精神的にきつい。おばけさんはまだしも、熊や猪の類が出てきそうな雰囲気は、中々味わえませんよ😓
標高は多分150mくらい?にも関わらず、トラウマになるくらい毎回きついのですが、ルート選択が悪いのでしょうか…?もし楽な越え方を知っておられる方がおりましたら、是非ともご教授いただきたいです<(_ _)>
↓今回のルート
(381号→菊川を渡って右折→宮村鉄工所を通過→菊川自動車を通過→橋を渡って住宅地の方へ→斜面をひたすら登る→喫茶店「こもれび」→234号)
↓今之浦川に泳いでいた鯉幟
↓事任神社。ことのままと読む有名な神社
↓金谷峠の手前
↓234号との合流地点
↓頂上から
↓島田市と大井川が見える
↓JR金谷駅の周辺
↓大井川
↓静岡駅前
↓徳川家康。個人的には源氏説を信じている
↓静岡市役所。こちらは新しい方
↓市役所の古い方。帝国時代の建築で時代を感じる
↓並び建つ新旧庁舎
↓静岡県庁。これも玄関から帝国時代の建築と伝わってくる
↓ラーメンイベント。飯テロはNG
26日…
ちょっと寒かったですが、夜明け前には出発しました。とりあえず懐かしの三島までです。
そして一度通った道に慣れたのと、ルートを万全に押さえたおかげで、薩埵峠を経由することなく、清水→興津→由比を通って楽にパスすることができました!そのまま順調に三島へ…と思いきや、雨が降ってきたので雨宿り。昼過ぎには止みましたが、中々歯痒いです。
雨具もちゃんと持ってはいるんですが、いざ直面してみると雨の中を走るモチベーションが全く出ないんですよね…。視界と路面がいつも以上に悪い中で運転に集中するのは、結構なエネルギーロスに繋がるので小雨の時以外は避けたいところです。
さて、その興津〜由比までの行き方です。
興津駅を出て東に進んで行くと、このような案内がありますので、それに従って下さい。
そのうち駿河健康ランドの前まで行けますので、後は下のように太平洋自転車道をひたすら進んで行きましょう。
う〜んサイレントヒル…
高速の下をくぐった先は釣りスポットみたいですね。
ある程度進むと陸橋が見えてくるので渡りましょう(↑は渡りきってからの写真です)。その後は同じように道なりです。
漁港が見えたら終わりは近いです。頑張りましょう!(・ω・)ノ
ここが出口です。一応地図を載せておきましたが、参考になれば幸いです。
残念ながら探偵みたいな魚屋さんには会えませんでしたが、ちょうど上の出口にて、自転車で静岡から千葉まで向かわれている方とお会いしました。親切にここから東へ向かう道を教えて下さいまして、本当にありがとうございます。
千葉と聞いて驚きましたが、ならば私もいよいよ東京まで辿り着かねばなりませんねぇ。
さて、漁港出口を右折して信号が見えるまで進みましょう。そうすると踏切があるので、そこを渡って高速の下を爆走です。
途中には東海道の由比本陣&安藤広重美術館がありました。自転車旅をされる方は、せっかくなので開館時間に合わせて行かれてみてはどうでしょうか?
その前にある溝には亀が何匹もいました。最初は置物かと思っていたら本物だったので驚きです。
向かい側には小雪紺屋という建物が。日本史を勉強すると由井正雪という人が出て来ますが、その生家らしいです。由井=由比ということでしょうね。個人的にはこういう事が分かるとすごく感動します。
そしてやっとこさ三島へ到着。疲れたので夕食を食べさせてもらいます。行くのはもちろん…
さ・わ・や・か☆
はぁぁ何度食べても美味しいですねっ♪また友達を連れて来ます。
夜はネットカフェで宿泊。理由は熱海に行くまでに鷹ノ巣山を越えなければならないので、ゆっくり休むため。箱根チャレンジしてもいいのですが、今回は断念せざるを得ません。少し遠回りになりますが、大人しく箱根の半分の高さの鷹ノ巣山(500m)を選びます。
ネカフェ自体は初体験だったので、いい機会になりました。これは今後もお世話になりそうな予感です(°^°)/
旅の目標その②
1. 人から与えられた分だけ何かを返す
2. 地理感覚を明確なものにする
3. 創作のためのイメージを豊富にする
雨が降っていて移動できず暇なので、今のうちに2についてまとめておきます。
大学では北海道から沖縄まで、あらゆる地域出身の人と知り合ったわけですが、彼らから地元の話を聞いても「遠いね」とか「珍しいね」とかを返すだけで終わっていました。
完全に地理の勉強を疎かにしたことに起因する私の知識不足なのですが、結構前までは日本なんて一部を除いて同じようなものだろうと本気で思っていたわけです。もちろん彼らの話を聞いているだけで多少のイメージはなんとなく湧いてくるのですが、大きな違いが感じられませんでした。
例えば、京都と奈良の何が違うのかとか、富山と福井の違いとか、それも曖昧なままなのです。やはり実際に行ったことがありませんので、何があるのかも理解できていません。
あるいは、グーグルマップや鉄道路線でも眺めていれば少しは詳しくなったのかも知れませんが、複雑すぎるし思い出にはならないので結局意味がないですね。授業中の暇潰しにはなりますけれど。笑
何なら彼らに一度説明を求めればいいのですが、
・私自身が自分の地元すら把握しきれておらず、相手からの質問に十分に答えられない
・せっかく話してくれても前提知識がなさすぎて曖昧なまま終わってしまう
・今聞いている情報も、近い時期にそこに行く予定がないなら、古くなるために限界がある
などと考えてしまい、情けない話ですが、出身地の話題は避けてその人に関する他のことばかり聞いていました。
でも一切対応できないのも問題だということで、地理を道や街ごと自分のものにするために、自転車で行くことに決めたわけです。
(しかし自転車との相性が悪く、余裕がないために断念。移動手段を変えます)
今まで私は、地理とは誰かを連れてどこかに行く時に役に立つものとして認識していましたから、企画する側の人間でなかった私にとっては全く知る必要がなかったのでしょう。実際に今まで困ったことはなかったように思います。最近までは大学を卒業したら地元で働くつもりでいたので、それも関係しているでしょうか。
(この旅も、一歩違ったら地元一周という範囲で終わっていたかも知れません)
しかし今になって考えてみれば、旅行は自分のためにやっても全然いいんですよね。…何を言っているんだと思われるかも知れません。
「旅なんてしなくても生きていけるんだから、それをわざわざ自分だけでやる必要なんてない」とか変に考えていたからです。でも別に相手がいたわけでもありません。友人とは一緒に講義を受けたり食事に行ったりするだけでも十分でしたし、それ以上に手間のかかる旅行は面倒なものとも考えていました。
ということは、友人じゃない特別な関係の誰かと行くものなのかというと、そうでもなさそうです。何故かというと、そういった方々の目的は旅行ではなく研修や調査だったり、そもそも趣向が合わないことが多かったりするからです。
そんなこんなで、旅行とは他人のためにするものではないのかなという考えが浮かび、それから自分一人で旅することの方が楽しめそうだと思うに至りました。それは今回一人旅を経験してみて、正しいのではないかなと実感しています。
・予定は細かく立てずとも大雑把で構わない
・自分のペースでフレキシブルに動ける
・興味が湧くものがあれば立ち止まれる
行きたい場所があるなら計画はきっちり立てる必要がありますが、それ以外なら適当で問題ありません。時間に焦る必要がなければ、本当に色々なものが見つかります。ある程度安全に旅ができるのも男としての特権みたいなものなのですし、自由に気楽に好きな場所へ行けることは良いものですね。
地図を眺めるだけでは出会えないものが沢山あると思います。見て通った場所から自分の思い出を作ることができれば、地理なんて自動的に覚えられるもの。
似たような風景でも、何かが得られれば特別に変わります。それは写真を撮った場所でも、テントを設営した空き地でも、凍死しそうになった山腹でも、何でもあり。
つまり、土地の詳しい情報なんてある程度どうでもよくて、そこで自分がどんな思い出を作れたかの方が大事な気がする、というだけの話です。それを積み重ねていけば、本当の地理感覚が得られるのではないでしょうか。
これなら人に楽しく語ることもできますし、他人も興味を持ってくれる可能性が高まります。そこからはその人が実際に行ってみて、自由に感じ取ることを期待するしかありません。
この旅の目的2は、自分の場所に関する思い出を他人に伝えられるように、最終的には外国に行った時に伝えられるようにすることです。
もし地元の話になった時は、ちゃんと何かを語れるようにしておかないといけませんから、いずれ地元一周もしなければなりませんね😓
9月以降は東日本を周る予定でしたが、ちょっと考えてみます。