革命するには目を閉じろ

令和元年、自分の足で日本を周る。

沼津御用邸にて

*1週間前の書きだめです。

 

先ほどの芹沢記念館から更に海沿いに行けば御用邸に着きます。

御用邸という名前から最初は武家屋敷なのかと思っていましたが、歴代の天皇や皇族の方が利用されていた邸宅だったそうです。

大正天皇が御体調を崩された際、オランダ人医師が静養のための場所として海と山を望むことのできる沼津を提案し、それが良かったために以後も使われ続けていましたが、昭和の中頃には沼津市に譲渡され、現在は記念公園として一般公開されるに至りました。

庭園は単に緑が豊かなだけでなく、様々な植物が見やすく配置されていて植物園のような感じさえします。梅であれば白加賀や藤牡丹といったものが植えられていて、花が咲くシーズンを想像すると美しい景色が浮かんできました。季節は2月〜3月くらいを目安にしてみてはどうでしょうか。少し奥の方には浦島草なんかも生えていました。

道も歩きやすく整備されていて、来園者も少ない方だと思いますので、何人かで来てもゆっくり楽しめることでしょう。

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残念ながら本邸は現存していませんが、東西付属邸はきれいに残っています。ただ西付属邸が一般公開されているのに対して、東付属邸は団体の利用状況により入れない時があるようなので、そこは入園前に確認した方がいいでしょう。私が行った日は西邸しか見えなかったので、庭園を全周ぐるっと回るだけにしました。次来た時は両邸とも見えることを願います。

そこまで時間がかかるような広さでもないので、2時間あれば余裕を持って楽しめると思います。余った場合は近くの海岸で過ごすのもおすすめですね。
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*庭園だけなので短くなってしまいましたが、東京に帰る折に体力が残っていれば再度寄ってみようと思います。内部の写真撮影ができるなら載せてみますが、できない場合はまた庭園散策になりそうです。

芹沢記念館にて

*1週間前の書きだめです。

 

少し遅れてしまいましたが、芹沢記念館の紹介になります。

 

沼津港の反対側には何かないのかな?と思い、海岸線をふらふらと走っていますと、何やら公園の手前でトーチカみたいな建物を見つけたわけです。

わざわざこの場所にある理由と内容が気になり、丁度建物も小さめでサクッと見れそうだったので、入っちゃいました。

芹沢光治良(コウジロウ)については恥ずかしながら名前も顔も知りませんでした。活躍した時期は川端康成と一緒みたいなので、知っている人は知っているのでしょう。ここにある理由も、光治良の出生地だからだそうです。

↓所在地。我入道という地区にある

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↓玄関。建物ができたのは1970年

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↓1階展示。写真撮影は自由とのこと

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さて、光治良は中々複雑な人生を歩んでいたようです。

幼少期に親が天理教に関わるために家を出て行ったり、東大を出て文官になるも退職してフランスに留学したり、帰ってきて中大で貨幣論を教えたり…

その後は本来なりたかった小説家になるために執筆を始め、それが「改造」という文学雑誌に載ることになり本当に小説家デビューしまうという、まさに文才なくしてできないことをやってのけてしまいました。

(最も、既に高校時代から自分で小説を書いていたらしいので、本人は自分の適性を知っていたのかも知れません)

 

また、留学中に知り合ったフランス人や中国人との交流がずっと最後まで続いていたと説明されています。

支那事変が起こった際には、友人の安否が確認できないため、自ら特派員になって現地に突撃取材することで直接探そうとするほどでした。また普段は多くの手紙をやり取りしていたらしく、フランス語で書かれた光治良とその妻宛の手紙などが多く展示されています。

後年にはフランス政府から日仏文化交流の重要人物として勲章を贈られたり、中国の作家団の訪問を受けたりするなど、その交友関係の深さがよく分かりますね。

↓光治良が辿ったルート

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↓中国滞在中の日記。昔にしては字が読みやすい
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↓中国語で書かれた手紙
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このような経緯によるべくして、交流のある中国人の文学仲間は多かったらしく、巴金を代表とする彼らが戦後に光治良の作品を広めると、中国でも大きな評価を叩き出したようです。中国人の感性が日本人と似ているのかは分かりませんが、総じて光治良の作品が優れていた証拠と考えてよいでしょう。

今までに翻訳されたものの数は少なくありません。最近では「愛と知と悲しみと」が新たに翻訳されたそうで、まだまだ知名度の向上が続きそうですね。

言語学習用に翻訳された光治良の小説
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↓小説内における中国人の描写

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歴史的資料としても、光治良の作品には大きな価値があります。パリ関係の作品には留学中のフランスの様子が細かに描かれていますし、戦地視察の際の記録には写真まで付け加えられているので、当時を考証する際の参考にもなるでしょう。

 

当時の小説家として、光治良はあまりにもグローバルだったかも知れません。光治良のテーマの根幹は「人」ですが、それは他の多くの作品で描かれるような「個人」だけに収まったものではありません。

価値観も文化も常識も違う人間というものに、誰にとっても生々しい結果をもたらすであろう出来事を通すことで繊細に描き、そこでは異邦人という区別などはもはや関係なく、我々と同じ人なのだと見つけられる…という、そんな見方を与えてくれる作品が多いです。

戦争というものが人類共通の悲惨な出来事になった時代に、それを実際に見たり聞いたりし続けた光治良だからこそ、人が共通して抱く感情を見事に表現できたと言えるでしょう。

戦争が起こる理由は相手への無理解でしょうか?だとしたら、私たちの存在とは何で、相手の存在とは何なのかを問うにあたり、光治良の考えは非常に参考になるはずです。

↓相互理解について

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さて、記念館を出て海側に歩いて行くと、光治良に関連した碑が2つあります。

一つは少し高台になっているところにあるので分かりやすいですが、もう一つは少し右に進んだところから、それらしい小道を上がったところにあります。

↓高台にある碑の裏側

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↓小道の上にある石碑
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光治良にとって、この土地は何を与えてくれたのでしょうか。

人は人から与えられ、そして人に与える存在に他なりませんが、一人でいるとなった時に残るのは場所しかありません。特に与えられることで成長する子供にとっては、一人に慣れるほどにその場所から与えられる人間性というものが大きくなるはずです。まさに山で育った人が花粉症にならないのと似ていて、大人になってからではどうにもなりません。

最初の方で述べた通り、光治良は親と長く暮らすことはできず、その後は父方の祖父母と暮らしていたようです。実の両親と接することができなかったことによる何かしらの影響はあったでしょう。それでも作品を通して人に感情を与えることができていたのは、やはり幼少期に親以外の存在から与えられていたからに思えてなりません。

沼津が光治良に与えたものが十分であったことは、碑に刻銘された短い文面からも感じ取れます。

そして子供にとっての環境の重要性について、私も理解できました。あまり人と関わらない傾向の子については特に、その子の感性をよく観察して環境を選んであげる必要がありそうです。

(逆にそれさえ注意しておけば、子は勝手に成長していきます)

 

そんなこんなで、気になった方も是非記念館を訪れてみて下さい。100円の入館料で申し訳ないくらいの体験ができます。1階には小説も置かれていますので、飽きることはありません。

ぜひ沼津の雰囲気を参考にしてみて下さい。

 

最後に、詳しく優しく説明して下さった職員の方々に、お礼申し上げます。

 

1週間忙しかったので

どうもご無沙汰しておりまして、申し訳ないです。ちゃんと生きていますのでご安心を。

 

15日以来、全く更新していませんでしたが、実は17日から昨日まで奈良県で少しお仕事をさせていただいてました。

最後の更新をした後に静岡まで辿り着き、夜まで休憩した後、そこからさらに頑張ったのですが…残念ながら浜松までが限界でした()

そのお仕事が17日から始まるところ、16日の朝から奈良までの残り250キロを走り切るのは、男が子供を産むのと同じくらい無理なので、浜松に自転車を置いて在来線(浜松→名古屋→松坂→奈良)で移動することにしたわけです。

 

しかし静岡は迷路な上に高低差だらけで、本当にサイレントヒルでした。

静岡の岡も岡山の岡も、両方とも丘という意味らしいです。だからサイレントヒルで合ってますが、あれを登るきつさを考えれば、果たして丘と言っていいのでしょうか?本物の峠を越えることの辛さも、多分今回の旅をしていなければ経験していなかったと思います。

皆さんも薩埵峠と金谷峠、是非とも体験してみて下さい。あと夜の金谷峠はめっちゃ怖いです。ライト・ラジオ・栄養ドリンクの3点セットは必須でしょうね…

以下、静岡市までに適当に撮った写真です。

↓工業地帯と漁港が並ぶ

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富士川を超えた橋の下から
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↓潮風を受けながら走るのは心地良い
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↓薩埵峠の手前、東海道の名所らしい
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↓薩埵峠より東名高速駿河湾を眺める
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↓小高い丘にある農園を通り過ぎて静岡市内へ
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↓法橋の松、浜松市内の住宅街にぽつんとある
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↓浜松駅、ここまでが東京〜奈良の中間距離
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そしてレンズの黒点は解消できていませんね…これは汚れではなく傷かも知れません。

 

今は奈良から浜松まで帰ってきて、これからの予定を考えている最中です。というのも、ロードバイクが扱いづらく(別の記事で説明しますが)、移動手段を変更すべきだと考えたからです。なので、東京まで来た道を引き返し、ロードバイクを家に置いて、また別のやり方で仕切り直す感じになりますね。

帰らないといけない理由の一つには、家にPCを置いてきたこともあります。ちょっと頼まれた作業を終わらせたいのですが、荷物になるだろうと思ってPCを持って来なかったので…ついでに装備を整え直すこともできますしね。

 

旅が終わるわけではありませんが、今よりは楽しめる旅に作り変えられると思います。なので、またのんびり更新しながら帰りますね。

それではまた。

静岡から逃げるな

本当は昨日のうちに静岡市内まで行きたかったのですが、虚しくも?達成ならず。

 

理由は私が寄り道したからです。御殿場を朝6時くらいに出て、まだ寒かったですが清らかな空気を吸いながら、246号線に入ったわけです。

そしたらこの御殿場〜静岡区間、本当に走りやすいんですよ!昨日の上りばかりの地獄とは正反対でして、スイスイと進んでいけました。

不満があるとすれば、信号が若干多めなことと、路側帯あたりの状態がまあまあ悪くて揺れることですが、一気に行けば気にならないはずです。

爽快感がやばい。

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やばい…(*°o°)

 

*今回撮った写真の真ん中から少し左上のところに黒い点が写ってありますが、レンズに付着したゴミです。お見苦しいですがご容赦を。

 

それでこの道路沿いに黄瀬川という清流が流れていまして、美しい富岳を拝めます。

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↓黄瀬川
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それで、あまりにも楽なので、これは静岡に着いても時間が余るっしょ!どこかに寄るべしと考えた結果…

三島は行ったことがあるから沼津行こ♪

ということで、行って参りました。

(三島に寄ったのは、友達からさわやかのハンバーグを食べようと誘われたからです。また食べたい…いっそ静岡に引っ越せば…)

 

沼津は駿河湾に面する都市で、海と富士山の両方が見えるという非常に贅沢で羨ましい場所です。

中心は綺麗に区画されていて、通りの広さも十分に確保されていました。建物は高さも見た目も主張しすぎず、飽きないながらも落ち着いた雰囲気です。

すぐ近くを狩野川が流れており、その周辺は川と上手く馴染んだ風景が印象的でした。

↓市街近くの通り

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↓川沿いの小さな路地。建物がカラフル
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狩野川。少し上流から
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↓曲線が美しい
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狩野川から駿河湾に抜ける途中の路地
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↓船の泊まり場。奥に見えるのが沼津港
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↓造船所。丘の上にあるのは八幡神社

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↓海の近くに設けられた野球場
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狩野川が終わると、すぐ目の前に駿河湾です。f:id:smallshade:20190415035723j:image
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↓沼津港

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↓朝から釣り人が多い

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最近はずっと海に馴染みがない生活を送っていたので、なんだか新鮮な気持ちになりました。

他にも色んな見所が存在するので、気分のいい日には観光名所が多い海岸線を一周したり、ゆったりしたい時には市街を巡ったり、何もしたくない日は釣りをしながら富士山を眺めたりと、本当に自由な観光ができると思います。

 

今回はほかにも芹沢光治良記念館と沼津御用邸に行ってきましたので、また別のページにまとめます。というか、多分そっちがメインですかね?

 

今日こそは最低でも静岡市まで行くつもりです。雨も心配なさそうなので、日の出と同時に準備して出ますかね。

昨日のうちに行けなかった理由?…観光しすぎて膝と足首が腫れに腫れたからです。体力不足の体ではしゃぎすぎると悲惨なことになるので、皆さんも適度に休憩を挟みながら、補給をケチらないようにしましょう…

 

旅の目標①

旅をしたいと思った理由としては、自分で決めた何かをやり遂げたい、というよりは、自分と向き合いながら何かを見つけたい、というのが大きいでしょうか。

生きて帰ることだけに必死になって、残りが適当になってしまってもいけないので、可能な限り有意義に取り組むため、大まかな目的を3つ書き出してみます。

 

1. 人から与えられた分だけ何かを返す

2. 地理感覚を明確なものにする

3. 創作のためのイメージを豊富にする

 

少し長くなりそうなので3回に分けて書きます。今日は①についてです。

 

<1. 人から与えられた分だけ何かを返す>

信頼関係とは、平等なやり取りから生まれるものだと思います。ギブアンドテイク(以下、勝手にGnTとします)と聞くとビジネスシーンをイメージしますが、至って普通の人間関係においてもそうではないでしょうか。

会話をする場合を考えてみると、話の引き出しが多ければ多いほど、多くの相手に合わせることができるので余裕を持って対応することができます。しかし逆の場合は相手を理解することが難しくなるでしょう。

ただ、この場合は出される話題の領域が自動的に限定されるので問題ではありません。問題なのは自分が相手にどう接するかということです。

 

私はどちらかと言うと人の話を聞く立ち回りが多く、自分のことをあまり話してこなかったような気がします。

今までは楽だからこのままでもいいかな、と思っていたのですが、結局私は人の話を聞くばかりで、裏を返せば自分は何もしてこなかったから話すこともないのかな、と疑問に思ったわけです。

 

簡単に良い見方と悪い見方で分けてみると、

・私は相手にとって話しかけやすく、共感力のかなり高い人間である

・私は人に話せるような十分な経験がないために、適当な知識に頼るしかない人間である

の2通りがあると考えられます。

 

どちらも正しい事実です。小さい頃から自分が何をしたいかではなく、他人からどう評価されるかで物事を選んできたので、積極的に何かをやったことは少ないですし、他人の喜ぶようなことを勝手に想像して実行していました。

 

あと自分で言うのも何ですが、私は理解できる相手は否定せず尊重するという姿勢を第一に置いてきたつもりです。でも今考えると、それは相手に合わせているだけで、自分が本気で向き合っているわけではないですよね。話を合わせるだけなら、別に私でなくともできるわけですから。尊重してもしすぎると、何も言えなくなって良くないですね。

 

整理するのが難しいですが、GnTの関係とは、相手の目を気にせずに自身の経験を相手に差し出すことではないか、ということです。つまり、「同調」ではなく「反応」によらなければGnTを満たしていません。

相手に合わせるだけというのは、相手にとっては新しいものを得られないから不平等、自分にとっても自信の喪失というデメリットばかりです。

 

そして、経験とは他人のためにするのでは意味がありません。必ず自分のためにすることが求められます。人は自分の決めたことにしか責任を持てませんし、各ライフステージでやりたいことやすべきことをできなかった人間は、そうでない他人への嫉妬に駆られて苦しむことになります。

 

だからこそ、私はこの旅をするわけです。大義のためでも、国のためでも、誰のためでもありません。今までの自分が得られなかった何かを取り返すためです。過去の自分は存在せず、さらに今の自分まで殺してしまえば、未来の私は確実に死んでしまうんです。

 

そうならないために、今何かをしておかなければなりません。自分の手で作り上げたものがあるかないかで、その人の魅力というものは変わります。

その魅力を引き出すのは経験であり、それを伝えるのは会話であり、それは今後も人との関係の基軸であり続けるでしょう。人と関わらずに生きていけるような時も来ないでしょう。

 

ですから、目的その1は、今までのやり方を反省して、今回の旅の間に会話という行為をより良いものにすることです。人の内面は24歳くらいまでに決まると言われている以上、今回がラストチャンスかも知れないという意味でも、価値のある目的だと思います。

 

続きはまた今度。

 

春の夜には気をつけろ

昨日は出発前にいろいろあり、本当は正午過ぎに出発する予定であったものを、17時まで遅らせてしまうことに…

・念のためロードバイクの空気を入れ直そうとして、バルブコアを壊してしまい修理に行く

・帰ってきて少し休もうと椅子に腰掛けた瞬間に2時間くらい気絶

などなど、やはり詰めが甘いなと自分自身でも思うのでした…

 

しかし、初日にしてまだまだ自分の無力さを実感することになります。

 

ロードバイクには荷物をいくつか取り付けておきましたが、基本的な荷物は背中に背負っているので重くなった感じはしませんでした。しかし私のバランス配分が悪かったのか、左右の安定性が中々に微妙な感じに仕上がってしまい、何度も転ぶ羽目に。多分5回か6回くらいはやらかしてます。そのうち3回くらいは人前で…

いや、もしかしなくても私のバランス感覚が悪いだけのような気もしますが…ここ数年間は自転車自体ろくに触れていませんでしたしね。

 

さて、今は静岡に入っていますが、ここまでのルートは

・相模原〜厚木セクション

・厚木〜御殿場セクション

・御殿場〜静岡セクション(これから)

みたいな感じで通ってきました。

 

相模原〜厚木は普通の交通量かつ直線が多めの走りやすい区間(129号線)、それに対して厚木〜御殿場はきつめのヒルクライムが続く山道に加え、似たような道や複雑な区画のせいで疲れる&迷うを繰り返す区間(246号線)といった感じでした。

厚木〜御殿場の写真はこんな感じです。

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といっても、丁度運転していたのが夜だったので、道が分かりにくかったのかも知れません。明るい時の方が気持ち的にも余裕が出るので、そちらの方をおすすめします。日中なら富士山も綺麗に見えますよ?

下のは小山・足柄周辺で朝に迷った時に撮った写真です。空気がきれいですね。

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何故夜に走ったのかといいますと、交通量が少ない方が走りやすいだろうと思ったこと、昼の時間を観光や散策に使いたかったこと、そして昼より涼しくて走りやすいだろうと考えたことが原因です。

 

でもこれ、春の段階ではやめた方がいいです。

 

理由は寒いからです。超寒いです。

走っている時に見えた気温表示には、6度と出ていました。4月の夜って毎年こんなに寒かったでしょうか?

そして、ただでさえ寒いのにバイク乗りは自らの体で風を受け止めながら走らなければなりません。私はできる限り夏に備えて荷物を軽量化していたので、当然厚着なんて持ってきてません。ダウンヒルに入った時には、体全体を震わせながらバイクにしがみつくようにして走るという、究極の体力の無駄遣いをしていたわけです。

(ロードバイクは姿勢が悪いとお尻が死にます。そのまま走り続けると痛みに耐えられなくなり、押していくしかなくなります。こうなればバイクなんてただの荷物ですから、ない方がましみたいな状況になります)

 

それでも、寒ささえ楽しいと感じたのは初日だからでしょうね。丁度峠の下りに差し掛かった時には

「これだぜこの感じ!両指の身が凍結したようなこの謎テンション!これこそバイクだ!」

みたいになってました。

ちなみに、使っているカメラはRX-100です。気に入っている理由はまた別の日に書きますね。

何にせよ、もうこの思いはあまりしたくはないので、明日からは日中に走るよう変更します。それまでは睡眠負債の返済とお尻のダメージ回復をしつつ、再度ルートの確認でもする感じですかね。

 

バイク9時間ぶっ続け+疲れて歩き3時間で80kmということは、明日は焦らなくても静岡まで行けるでしょう。そこから先がまだ長いですが…

 

本ブログについて

SNSに触れるのは初めてなので、少し緊張しながら書いています。

と言っても、半分は自己満足で書いているようなものなので、適当な更新になるかも知れません。あと半分は社会貢献と生存報告みたいな感じでしょうか?

 

そして元号が変わりそうなタイミングですが、せっかく20代の貴重な1年間を使って一人で旅に出るのだから、その記録を残しておこうと思って作ったのが本ブログです。途中で自分の思ったこと、感じ取ったこと、学んだことをここに書き残しますね。

別にどこを重点的に周ろうとかは考えてなくて、自分が興味を持った場所に行くだけです。強いて言えば、大きめの都会はあまり興味ないかなって感じでしょうか。あと自分が地理に疎いので、身をもってそれを覚えに行くというのも含んでいます。

詳細については、あまりここに予定を書きすぎても、ネタバレみたいで面白くありませんので、一区切りごとに場所や経路を載せていくつもりです。

それから、趣味が写真なので道中たくさん撮るつもりですが、これから人口減少による地方(あるいは全国)衰退が本格化するであろう中で、将来何かの参考になるかも知れないことを考え、それも併せてここに保存しておきます。

 

ちなみにブログのタイトルですが、「何かを決断したり創造するには脳を休ませる必要がある。視覚情報は最も脳への負担が大きいので、普段から目を閉じて余裕を作ろう」という意味です。

失敗から学ぶことはあれど、それでもやはり最初から失敗しないに越したことはありません。常にリラックスすることはほぼ不可能ですが、合間に目を閉じて休むことで自分の判断力を整えてあげられれば最高ですよね。

 

概要はこんなところですが、ついでなのできっかけも書いておきますか。というのも、単に大学にいる意味が分からなくなったからです。

 

本当にそれだけです。

 

だって今の時代、求めている答えの大半は自力で調べられますし、むしろ情報が多すぎるくらいです。わからないことや興味のあるものは、その瞬間にデバイスで調べて、それでも出てこなければ本で調べられますし、それでも駄目なら自分で考えればいい。

その方が、わざわざ大学の居心地の悪い教室で、教授からそれらしい答えが出てくるのをじっと待っているよりは効率的だと思います。

(というか、答えを暗記するだけの学問は、本当の意味で社会の役に立つのでしょうか?人工知能に処理させたほうが効率的であるようなものは、仕事にすらなりません。仕事にならないということは、社会にとって無意味ではないでしょうか?私は卒業後の自分の存在意義について深く疑問を持つようになりました)

機械でも導き出せないような領域であればこそ、それを突き詰める場所として大学に価値が出てくる。文系も大いにその要素がありますが、それを知識の詰め込みのように扱っている現環境に、私は一切の生産性を見出せませんでした。こんなものは人間的ではありません。

 

それでも、人に恵まれている大学になら通う価値はあるんだと思います。自分の人生に対する哲学を持っている人=何となく生きていない人とでも言いましょうか。ちゃんとした目的と動機を持っている人に出会える確率が高い大学になら、行くのもありだと思います。今後の人生に良い影響を少なからず与えてくれるでしょうから。

私の大学は・・・まあ、適当な理由で入学した私がいるような大学ですから、そういうことですね。偏差値が高い=いい大学、なんて安直な発想を持っていた私が馬鹿でした。同じ理由で入ってくる人も多くいるということに気付いていませんでしたね。もう次は間違えません。

(それでも何人かと出会えたのは完全に幸運でした)

 

結局、自分が成長できるかどうか、やはりこれは「場所」によって決まると思いました。具体的に言えば、ストレスを発散できるような「文明的な」場所。そういった場所には精神的に余裕のある人、特に若い層が多く集まるからです。

そしてその上に存在する組織も、またその影響を大きく受けているわけです。余裕のある組織は成長し、ブランド力を高めていく。そうでないものは、自ら衰退するしかありません。

私の居場所は残念ながら後者です。当然ながら20そこらである私も精神状態を悪くし、もう何が何でも、よりエネルギーのある環境に変える必要があると感じました。

・・・それが本当に正しいのかどうか。私が最悪だと思っているだけで、一般的には普通か、それ以上なのかも知れません。親はそう思っているみたいですが。

でも、です。よく考えてみれば、これからの日本があらゆる面で苦しくなり、成長が全く見込めないのは目に見えて明らかなのです。だとすれば、自分の成長以前の問題で、生活そのものを日本と海外のどちらに置くかという問題について結論を出さねばなりません。人から良い影響を得られない場所に住み続ければ、何もできない人間になることが確定したようなものです。

 

いずれにせよ、まずは身近にある日本を見ておかなければなりません。こればかりは自分の目で確かめるしかないので、行ってくることに決めました。

その上で、(もし生きて帰って来られたらですが)人間的な環境に必要なものは何なのかを、自分なりに検証することをもって、このブログの完成としたいと思います。

出発まではまだ少し、そして最初の目的地に着くのは4月中旬くらいです。本当の旅のスタートはそこからですね。

全く旅の経験がない状態でのスタートにはなりますが、だからこそ素人なりに面白くやれるような気がします。最初に言った通り、自己満足的な内容になると思いますが、何かの間違いで本ブログが誰かの参考になりましたら幸いです。

 

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