日本のベルリン?舞鶴市
西舞鶴編になります。その前に前回お伝えしたものを見ておきましょうか。
天がこの人に大きな試練を与えようとする時は、
必ず先ずこの人の精神を苦しませ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢えさせ、その身を窮乏させて、
することなすことその意思に反するようにするものである。
それはこの人の心を発奮させ、その本性を忍耐強くし、それまでできなかったことをできるように能力を増大させるためである。
この試練を無駄にすることなかれ。
調べてみると、孟子の一節ということが分かったんですが、どうも最後の一文だけは作者のオリジナルのようです。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」とはJIN-仁-の南方先生の言葉ですが、とにかく必死に生きてみることで何かを変えられるのかも知れないですね😏
よろしければ皆さんも海軍記念館に行ってみて下さい。
西舞鶴ですが、近代に発展した東とは違い、近世より続いてきた歴史ある城下町です。そもそも舞鶴という地名も、田辺城の異名である舞鶴(ぶかく)城から取られたと言いますので、本当の舞鶴は東ではなく西なんです。市役所は東にありますけど。
当然のように野宿した翌日、西舞鶴の市街へ。田辺城は駅を出て右に曲がり、北に少し歩くと見つかります。
↓伊佐津川運動公園、かなり広い
↓西舞鶴駅
↓駅前広場
↓田辺城前にある明倫小学校
↓田辺城跡、今は舞鶴公園となっている
↓復元された大手門
↓2階部分には展示があるが休館日だった
↓天守台の跡
↓奥に見えているのが心種園
↓公園の風景
↓細川藤孝が詠んだ歌が心種園の由来
↓古も今も変わらぬ世の中に心の種を残す言の葉
↓籠城戦の最中にこの松の下で詠んだと伝わる
↓田辺籠城戦は東軍の勝利に影響を及ぼした
↓心種園の風景
公園の南西には藩主であった牧野氏の碑が
↓南東部分は子供の遊び場
↓公園裏の沿線、軽い遊歩道である
城だけではありません、市街地の方にも見所が沢山あるのが東舞鶴と違う所でしょうか。山沿いには寺社が立ち並び、川沿いに歩いてみると城下町だった頃の街並みと商店街が並行しています。
更に港の方に出てみると、綺麗な景色を見ることができるでしょう。
↓確認できるだけで12の寺社がある
↓商店街の入り口
↓西市民プラザのホール
↓商店街なのに湧き水の出るポイントが
↓自己責任で飲みましょう!
↓普通の川だが上手く整備されている
↓笶原神社、「笑う」ではない
↓金刀比羅神社、この付近もかなり海に近い
↓桂林寺、曹洞宗のお寺で藤孝と縁がある
↓鎌倉時代の雰囲気を残す門
↓かと思えば中国風だったりで趣が深い
↓境内から眺める市街地
↓かわいい…🐸
↓かなり落ち着いた雰囲気のお寺だった
↓城下町に残る街並み
↓今度は北の伊佐津川の河口へ
↓両岸に漁船の並ぶ風景が
↓埋め立てではないらしい、何かの工事中
↓この川を下ればすぐ舞鶴湾
観光でも十分楽しめますが、恐らく生活するとなってもあまり不便しないと思います。
道路がT字に走っているので南北で差はあまりなく、全体的に見て寂れている感じはしませんでした。駅へのアクセスもいいですね。
美味しいものが食べたいなら、北の道路を西に走れば道の駅があり、そこで海鮮にありつけます。東には食料品店や普通の飲食店、公園とかが多いイメージでしょうか。
それに加えて、西に行けば天橋立、東に行けば舞鶴湾を見渡せる五老タワーという、何とも贅沢な場所です。
東舞鶴のことを悪く言うつもりはないのですが、利便性や街の雰囲気の違いが大きく、同じ舞鶴という感覚はあまりなかったですね(¬_¬)
今回は少し短いですが、長期的に楽しめる可能性の大きい街なので、ゆっくり観光してみると色々な発見があると思いますよ!
これで舞鶴とはお別れですが、さながら西ドイツと東ドイツのような、分断を感じる場所でした…違う歴史を歩むというのは、時に重い結果をもたらすものですね😓