革命するには目を閉じろ

令和元年、自分の足で日本を周る。

軍港プラス旭川

舞鶴の記事になります。

ネカフェとか一切ないということが分かっていたので、野宿するために福知山を出発して着いたのが夜。

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確か8時くらいに着いたので、何なら南にある東舞鶴公園という大きめの公園まで、街並みでも観察しながらお邪魔しようかと足を運んだのであります。

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そしたら何か違和感が。うーん?舞鶴って名前からして、もっとこう華やかで活気のあるイメージだったんですが、そうじゃないというか…

断言することはできませんが、気のせいか府道28号を過ぎた辺りから空き家らしいのが多めに見受けられました。ここも過疎化進んでるなぁ…と感じつつ、セブンを過ぎて公園の周辺に辿り着くと、今度は少し高そうな住宅街に突入。

 

後日聞いてみて分かったのですが、東舞鶴の歴史というのは軍港ができる前と後で完全に変わったんだそう。

元々は漁業と農業しかなかった土地にぽんと海軍の鎮守府ができて、海岸の方は軍の敷地に。港だけでは物資や人の輸送も追いつかないため、区画の整った旭川モデルの市街まで完成させて鉄道も敷設。近代のもたらした推進力によって一気に発展の道を辿ります。

当然ですが若い働き手は活気のある市街の方へ。都市と郊外の中間に残ったのは昔から住んでいた方々ということになりますが、今は世代交代になるかどうかと言ったところでしょうか。

その後はご存知の通り、敗戦によって軍が解体されたことで軍港としての機能が縮小し、海自として復活するも石油危機、バブルなどの連続で人口は徐々に減っているとのことでした。今ではむしろ市街地の方が空き家が多いまであるとのことですが、その人達がどこへ消えたのかは具体的に分かりません。

確かに自衛隊の福利厚生って充実してますしねぇ。大体の物は基地の中で調達することができますし、特に海なんて出てしまったら数週間や数ヶ月は普通に帰ってきませんし。

それに隊員不足と日本全体の不景気がプラスされたら、そもそも人が減っている上に一人の落とすお金も少ないという状況の完成です。自衛隊を相手に商売ができないのでは苦しいでしょう。

それに若い人なら舞鶴市内で買い物するより、アクセスのいい南側に広々と家でも構えて、何か欲しい時は綾部や福知山に行く方が合理的な気もしますし…

そう考えたら、駅の周辺に施設が少ないのも納得できますし、離れた公園にテニスコートや野球場まであるのも理解できます。

それにしても静かだなぁ(夜だから当然か)

 

その後は公園で野宿の準備を整えて、後は寝るだけ!ん〜おやすみ💤

と寝ようとした時、公園全体が消灯。そしたら急に怖くなってきまして…無様に撤退。私は知っています、近くに逃げ込める可能性がゼロに近い場所で寝るのは自殺行為だって。古事記にもそう書いている。

そう、野宿の基本はいつだって…普通の場所を、特別な場所にして、寝るのみ!!!

と言うわけで、大きめの公園がある海岸沿いまで移動です👣

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途中で夜に停泊中の海自の鑑を見て興奮したり、お洒落なデザインの建物に見惚れたりしながら、何とか到着。雨が降る前に着いたので一安心です😌

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ここで問題が。雨は凌げるのですが、とにかく寒い。完全に忘れていました…そう、何を隠そうここは天下の日本海🇯🇵🌊

テント?シュラーフ?そんなものは投げ捨てて旅に出た私にとって、この寒さはきつい🌀

結局3時間くらいだけしか寝れませんでした。寒さに絶望起床させられ、時間を確認してみると午前3時ごろ。日の出まであと90分、取り敢えず身体だけでも動かして何とか過ごします。

 

そして海沿いをぐるっと周り、次の公園に到着。良かった、ここならコンビニが前にあるので温かい飲み物くらいは調達できます。

公園自体もそれらしいから何とかなりそう。そして適当なベンチで待つこと1時間くらい。もしかしたら朝の綺麗な舞鶴港が見えるかも!?と期待していましたが、天気は微妙でした。残念!笑

海軍記念日自衛隊桟橋に入れるのが10時からなので、あと数時間もある…適当に散策。

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謎の錨に首を傾げつつ、川に架かっている橋を渡ります。
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だんだんと気温も上がってきて、ようやくゆっくり日本海の風を感じられるように。丹後に一人で来ていることは何となく不思議ですが、多分卒業まで普通に大学生活を送っていても誰かと来ることはなかったでしょう。

ますます不思議だと思う笑

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渡って見渡せる範囲に、野宿に適してそうな宿を発見。ですが治安の観点上、あまりこういったことを誰かにオススメするのは良くないですよね…うん。
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ここで気付く。あれ?奥の建物、何か見たような気がするような〜?🤔

確か、さっき寝てた所の近くにあった建物だ。ということゎ…

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うわっ…私の寝てたところ、近すぎ?

気付いた時、マジで自分何やってたんだろうと痛い気持ちに。

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地図を見てみると、公園と公園は橋を挟んで向かい側でした。

橋があったことに気付かなかったことも、最初から3条通りを真っ直ぐ進めば済んでたことも、全てやり切れません。

この時の悲しみとこれからの人生を描く待望の映画「サッド・マックス/錨のゲス道路」。是非ご家族で映画館に観に来てくださいね💡

 

*****

 

そんな映画の主人公いるかよ。

何故わざわざ遠回りすることになったのか?それは私にも分かりません。一つ言えるのは、夜に一人で公園を歩き回るのは怖いということです。

まあ、もし行きたい方がいらっしゃれば、駅の北口からずっと進むだけです。公園で左に曲がりますと赤レンガパークまで近いですし、街並みも味わえるので案外良いかも知れないですよ?

あとお洒落な建物は舞鶴市総合文化会館なんですね。博物館かと思ってました。

 

通りの仕組みについては分かりやすいと思います。縦の通りが1〜9条で、横の通りが軍艦の名前っていうだけですね。

よく見てみると1条通りの西と9条通りの東にも縦の通りがあるのですが、それにも数字でなく軍艦の名前がついています。

横の通りは北から順に(1)潮路・(2)八重山・(3)富士・(4)大門・(5)八島・(6)敷島・(7)朝日・(8)初瀬・(9)三笠

1条より西は左から順に(1)築波・(2)明石・(3)須磨・(4)秋津州(洲)・(5)千代田、更に千代田の南には(6)和泉・(7)八雲

9条より東は左から順に(1)養老・(2)吾妻・(3)磐手・(4)出雲・(5)高千穂

という感じで、全部で21の通りがあります。日露戦争の時の軍艦って、こんなに種類あったんですね…

 

まあそんなこんなで、この後まだ人も少ない街を歩き回っていると8時を回ったので、赤レンガパーク方面に向かうことに。海自関連の施設は全部あっちにまとまっていますからね🧱f:id:smallshade:20190613003926j:image

軍港へと物資を引き込んでいた北吸隧道も、今は役目を終えて歩行者と自転車が利用する道に変わっています。
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ちなみに夜来るとこんな感じ。ここは結構明るいし心霊スポットでもないと思うので、そこまで怖くはないです。ただ向こう側に抜けるまで後ろは振り向かないで下さいよ👻
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赤レンガパークです。12棟残ってますが、一部しかまとまってはおらず、他は点在しています。一番手前の4棟+赤レンガ博物館以外は中が見えませんので、他のを見に行く必要はないでしょう。

まあ自衛隊桟橋と海軍記念館(土日と祝日の10:00〜14:45まで)、東郷邸(毎月1日の10:00〜14:45まで)は更に奥になりますので、そこに行くなら見ることになるんですけれどね。結構歩きますので覚悟しましょう😇

もし車がないなら、晴れた日にパーク内で予約できる「海軍ゆかりの港めぐり」という遊覧船に乗ることをオススメします。確か1,000円で乗れる上に海上から赤レンガ棟と軍艦が見えるので、景観は最高だと思いますよ!

やはり船は海から見てこそ迫力がありますからねっ🍷


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桟橋の手前からでも艦を見ることができます。

個人的には潜水艦以外の艦を間近で見ることができたので、とても嬉しかったです🈵

でも悲しいことに、全然知識がなくて、雰囲気しか楽しめませんでした><

もしかしたら、これを見ている皆さんも軍艦についてあまり知らないのではないですか〜?

そう思って(本当は自己満足ですが)少しだけまとめてみました🎉

まずはどんな艦種があって、艦の番号が何を表しているのか調べてみたところ、下のようなものを発見。

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(http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1960/ax19600924_00030_000.pdf)

 

あとは艦番号一覧表なるものが海自のHPにありましたので(https://www.mod.go.jp/msdf/equipment/ships/list/)、これらに従ってまとめてみると、

 

101〜200 : DD = 護衛艦

(汎用護衛艦)

・101むらさめ〜109ありあけ (むらさめ型) 9

・110たかなみ〜114すずなみ (たかなみ型) 5

・115あきづき〜118ふゆづき (あきづき型) 4

・119あさひ (あさひ型) 1

・130まつゆき / 132うみぎり (はつゆき型) 2

・151あさぎり〜158うみぎり (あさぎり型) 8

(ミサイル護衛艦 → DDG)

・171はたかぜ / 172しまかぜ (はたかぜ型) 2

・173こんごう〜176ちょうかい (こんごう型) 4

・177あたご / 178あしがら (あたご型) 2

⚠️こんごう型あたご型 = イージス艦

(対潜護衛艦 → DDH)

・181ひゅうが / 182いせ (ひゅうが型) 2

・183いずも / 184かが (いずも型) 2

201〜300 : DE = 護衛艦(沿海警護型)

・229あぶくま〜234とね (あぶくま型) 6

301〜400 : MSO = 掃海艦

・304あわじ / 305ひらど (あわじ型) 2

401〜420 : ASR = 潜水艦救難艦

・403ちはや (ちはや型) 1

・405ちよだ (ちよだ型) 1

421〜460 : AOE = 補給艦

・422とわだ〜424はまな (とわだ型) 3

・425ましゅう / 426おうみ (ましゅう型) 2

461〜480 : MST = 掃海母艦

・463うらが / 464ぶんご (うらが型) 2

481〜500 : ARC = 敷設艦

・483むろと (むろと型) 1

501〜600 : SS = 潜水艦

・501そうりゅう〜509せいりゅう (そうりゅう型) 9

・592うずしお〜600もちしお (おやしお型) 9

601〜720 : MSC = 掃海艇

・601ひらしま〜603たかしお (ひらしま型) 3

・604えのしま〜606はつしま (えのしま型) 3

・681すがしま〜692くろしま (すがしま型) 12

721〜820 : MCL = 掃海管制艇

・731ゆげしま / 732ながしま (いえしま型) 2

821〜? : PG = ミサイル艇

・824はやぶさ〜829しろたか (はやぶさ型) 6

2001〜 : 省略

 

大体こんな感じになるのかな?ずっと曖昧なままでしたが、気になってここまで調べてしまいました。艦は個性があるので面白いですし、ずっと見てても飽きないですよね⚓️

ちなみに空母はCVと表されますが、これは Carrier Vessel の略みたいです。大型の艦船がshipで小型の船舶がboat、両方を区別しない時にvesselと言うらしいですが、日本にはまだ縁のない話なのかな…?

日本も一応、世界で初めて最初から空母として設計した船を竣工させたという実績があるので、空母先進国のはずなんですけれど。

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ここが桟橋の入り口です。通りかかった時はまだ開いていなかったので、先に遠い方の海軍博物館を回ることに。

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日曜だからか、先客が待っていますね。ここの前身は関東大震災の影響で移転してきた海軍機関学校らしいです。それが戦後になって隊員に総合教育を施す場から、料理🍛や経理🧾と言った部門(第4術科)に特化した教育施設に変わったのだそう。

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目の前にはJMUの造船所が。あと日本で有名な造船会社は三菱重工川崎重工とかでしょうか。
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詰所で見学証をもらい、いざ内部へ。坂を登って左手にある施設がそうです。

何でもこの記念館は昭和天皇行幸に合わせて突貫工事で作られた建物だそう。帝国海軍恐るべし(゚д゚lll)

展示の内容は幕末から終戦直後あたりまでの海軍史を網羅した感じのものです。中には歴史の前提知識がないと訳の分からないもの、書体のせいで読み取れないものがあったりもしますが、どれも貴重な資料ということです。日露戦争の展示が多いので、そこを予習していくと楽しめますよ⭐️

 

桟橋は…残念ながらカメラの電池が切れたので、そこからの写真はありません💦

代わりに海軍博物館より、心に響く言葉をお伝えするとしましょう<(°^°)

 

天将降大任於是人也

必先苦其心志 労其筋骨 餓其体膚 空之其身

行拂乱其所為

所以動心忍性 曽益其所不能

勿空此試練

 

意味が気になる方は西舞鶴の方もチェックしてみて下さいね。