革命するには目を閉じろ

令和元年、自分の足で日本を周る。

旅の目標①

旅をしたいと思った理由としては、自分で決めた何かをやり遂げたい、というよりは、自分と向き合いながら何かを見つけたい、というのが大きいでしょうか。

生きて帰ることだけに必死になって、残りが適当になってしまってもいけないので、可能な限り有意義に取り組むため、大まかな目的を3つ書き出してみます。

 

1. 人から与えられた分だけ何かを返す

2. 地理感覚を明確なものにする

3. 創作のためのイメージを豊富にする

 

少し長くなりそうなので3回に分けて書きます。今日は①についてです。

 

<1. 人から与えられた分だけ何かを返す>

信頼関係とは、平等なやり取りから生まれるものだと思います。ギブアンドテイク(以下、勝手にGnTとします)と聞くとビジネスシーンをイメージしますが、至って普通の人間関係においてもそうではないでしょうか。

会話をする場合を考えてみると、話の引き出しが多ければ多いほど、多くの相手に合わせることができるので余裕を持って対応することができます。しかし逆の場合は相手を理解することが難しくなるでしょう。

ただ、この場合は出される話題の領域が自動的に限定されるので問題ではありません。問題なのは自分が相手にどう接するかということです。

 

私はどちらかと言うと人の話を聞く立ち回りが多く、自分のことをあまり話してこなかったような気がします。

今までは楽だからこのままでもいいかな、と思っていたのですが、結局私は人の話を聞くばかりで、裏を返せば自分は何もしてこなかったから話すこともないのかな、と疑問に思ったわけです。

 

簡単に良い見方と悪い見方で分けてみると、

・私は相手にとって話しかけやすく、共感力のかなり高い人間である

・私は人に話せるような十分な経験がないために、適当な知識に頼るしかない人間である

の2通りがあると考えられます。

 

どちらも正しい事実です。小さい頃から自分が何をしたいかではなく、他人からどう評価されるかで物事を選んできたので、積極的に何かをやったことは少ないですし、他人の喜ぶようなことを勝手に想像して実行していました。

 

あと自分で言うのも何ですが、私は理解できる相手は否定せず尊重するという姿勢を第一に置いてきたつもりです。でも今考えると、それは相手に合わせているだけで、自分が本気で向き合っているわけではないですよね。話を合わせるだけなら、別に私でなくともできるわけですから。尊重してもしすぎると、何も言えなくなって良くないですね。

 

整理するのが難しいですが、GnTの関係とは、相手の目を気にせずに自身の経験を相手に差し出すことではないか、ということです。つまり、「同調」ではなく「反応」によらなければGnTを満たしていません。

相手に合わせるだけというのは、相手にとっては新しいものを得られないから不平等、自分にとっても自信の喪失というデメリットばかりです。

 

そして、経験とは他人のためにするのでは意味がありません。必ず自分のためにすることが求められます。人は自分の決めたことにしか責任を持てませんし、各ライフステージでやりたいことやすべきことをできなかった人間は、そうでない他人への嫉妬に駆られて苦しむことになります。

 

だからこそ、私はこの旅をするわけです。大義のためでも、国のためでも、誰のためでもありません。今までの自分が得られなかった何かを取り返すためです。過去の自分は存在せず、さらに今の自分まで殺してしまえば、未来の私は確実に死んでしまうんです。

 

そうならないために、今何かをしておかなければなりません。自分の手で作り上げたものがあるかないかで、その人の魅力というものは変わります。

その魅力を引き出すのは経験であり、それを伝えるのは会話であり、それは今後も人との関係の基軸であり続けるでしょう。人と関わらずに生きていけるような時も来ないでしょう。

 

ですから、目的その1は、今までのやり方を反省して、今回の旅の間に会話という行為をより良いものにすることです。人の内面は24歳くらいまでに決まると言われている以上、今回がラストチャンスかも知れないという意味でも、価値のある目的だと思います。

 

続きはまた今度。